ジャンケンの必勝法と行動ファイナンス・行動経済学

ジャンケンの必勝法とナッシュ均衡

じゃんけんの必勝法はゲーム理論のナッシュ均衡を考えるために良い教材になります.
2人でジャンケンをするとき,ゲーム理論の解は「グー・チョキ・パーをすべて1/3で出す」ということの組合せで,それ以外はない.

「グー・チョキ・パーをすべて1/3で出す」と言う事以外に,ジャンケンの必勝法があったならば?例えば,多くの人は「グーを多く出し,チョキをあまり出さない」と言う実験結果が知られている(巷で言われるジャンケンの必勝法については,こちら).したがって「初心者にはパーを出せ」と言うのが必勝法の1つとされている.また,2回続けて同じ手を出すと,次は異なる手を出すことが多く,したがって「2回続けてアイコになったら,それに負ける手を出せ」というのも必勝法の1つとされている.

しかし「初心者にはパーを出せ」という必勝法を知って使う人には,チョキを出すと勝つことができる.また「2回続けてアイコになったら,それに負ける手を出せ」という人には2回続けてアイコになったら,3回目も同じ手を出すと勝つことができる.

このように「グー・チョキ・パーをすべて1/3で出す」以外のあらゆる「ジャンケンの必勝法」は,それを使うことが知られてしまうと,もう必勝法にはならないのである.

ゲーム理論の解であるナッシュ均衡とは「自分以外がナッシュ均衡の戦略を選んでいる状態では,自分はナッシュ均衡以外の戦略を選んでも利得が高くならない」という状態だ.ゲーム理論では,ナッシュ均衡をゲームの結果として予測する.もしゲームを実際に行うプレイヤーがその予測を知ったとしても,彼はそこからナッシュ均衡以外の戦略に変えたいと思う動機を持たない(これをナッシュ均衡の自己拘束性と呼ばれる).

逆に,ナッシュ均衡以外の予測がなされると,誰かはそこから選択を変えることで利得が高くなる.したがって,その予測は当たらないはずだ.

以上のような理由から,じゃんけんやゲームの必勝法というものが仮に存在していたならば,少なくとも相手がそれを知らない」ということが条件になる(「理屈は知っているが実現できない」という場合もあるかもしれない).少なくとも,ここでインターネットや本として公刊されているようなものが,有益な必勝法となることはないはずである.

ジャンケンの必勝法と行動ファイナンス・行動経済学

このようなジャンケンの必勝法について考察することは,行動ファイナンスや行動経済学に対して私達がどのように接するべきかを考える手がかりになる.行動ファイナンスや行動経済学では,理論から乖離した人間の行動や現象が観察されることがあります.行動ファイナンスや行動経済学と言っても,その立場には以下のようにいくつかのものがあるように思えます.
(1)人間の行動が,自己の獲得する金銭を最大にするのではなく,別に目的があることを明らかにする.この立場では個人は効用を最大にする合理的な人間と解釈している.例えばファイナンスでは「ファンドマネージャーは,運用益を最大にしようとするのではなく,他者の運用益の平均を下回らないように行動する」「最後通牒ゲームでは自己の獲得利益を最大にするだけではなく,他者と公平であることも望み,それとのバランスで効用が決まる」など.
(2)人間の思考や認知には限界があったり,感情が理性的な判断を邪魔することで本人が目的としていることと異なる選択をすることがある.この立場では,個人は効用を最大にできない非合理的な人間と解釈している.

上記の立場から,さまざまな必勝法を考察してみよう.

(1)の立場で発見された必勝法は,それが皆に知られても必勝法として残る可能性があるだろう.ジャンケンに当てはめると,例えば「私はチョキを愛してやまない」という人がいたとして(そんな人はいないけど…),彼に対する「グーで勝つ」という必勝法は,たとえ彼がそれを知っても残る可能性がある,ということだ.この場合,彼は勝つことより,チョキを出して負けたことを喜んでいれば,それで勝った方も負けた方も自分の目的に従って合理的な選択をしたことになる.

これに対して(2)の立場で発見された必勝法-「初心者にはパーを出せ」「2回続けてアイコになったら,それに負ける手を出せ」と言った類のもの-は,それが皆に知られてしまったときに,なくなってしまうように思える.ただし,人間の思考や認知に限界があるので「分かっていてもできない,だからこのような必勝法は使える」というのは1つの考え方だ.これは「人間は,自分で乱数を作ることが難しい」などの認知科学の研究成果と合致する考え方である.

行動ファイナンスの研究に興味を持つものの中には,このような人間の非合理的な行動パターンを利用し,超過利益を得ようと考える者もいる.果たして彼らは,上記のことについて,どのようにどのくらい考えているのだろうか.非合理的な人間行動の判断ミスやアノマリは「何らかの理由でなくならない」と考えるのか,それとも全員にそれが知られていくまでの時間の間に利益をあげようと考えるのか.そのあたりについて,考えられているのだろうか.今後,これについてはいろいろ探っていきたいと考えている.