夏の風物詩といえば西瓜、風鈴、怪談・・・。そう怪談であ る。このように夏の情緒を醸し出す怪談であるが、僕は今まで に怪談というものを読んだことがなかった。そこで、一念発起 して読んでみようと思った。 著者の小泉八雲とはもちろんラフカディオ・ハーンのことで ある。ハーンは最近なぜか世俗の注目を浴びてきている。ハー ンの人気には波があるという。識者の意見を聞いていると日本 が対外的に自信を失っていくとハーンの仕事に熱い眼差しが向 けられるという。これは、ハーンという一西洋人が西洋に見い 出し得なかった素晴らしい価値観・文化を日本で見つけたとい うことが対外的に失った日本の面目を癒す一番の薬となるから なのだろう。さらに、それが、大衆へのプロバガンダにも利用 される。そういった面で、今回の流行も現在の日本の世相を反 映しているのかもしれない。まあ、そんなことで自分の業績が 評価されたんじゃハーンさんもたまったもんじゃないだろうけ れど。 本の内容は、多くの著作からの抜粋である。前半部が『怪談』 に代表される怪談もので、後半部は日本についての評論、文化 論である。怪談ものの原本は『今昔物語』『古今著聞集』など 多岐に渡っていてハーンの博識を知るのに十分である。今回の お目当てであった怪談ものは期待通り背筋がほんのちょっと寒 くなる程度のお話であったが、後半部の評論「日本人の微笑」 のは僕自身の体験とも合わせ、なかなか興味深く読めた。とは いっても、書いてあることに納得がいったわけではなくて、外 国人の立場からみれば「微笑する集団」日本人はこのようにみ えているのかということがわかったことが興味深かった。 この本を読んでいると読んでいる内容が面白いということよ りも、怪談を読み「ああ、日本人してるなあ」という雰囲気を 楽しんだと言った方がいいのかもしれない。たまには、こうい うものいいよななどと自分自身に言い聞かせて。
日本の怪談と西洋のホラー 僕はホラー映画というものを見たことがない。いや、恐くて 見れないのだ。肉が裂けたり、血がほとばしったりというのに はどうもついていけない。怪談を読んでいて、日本における怪 談と西洋のホラーとの違いについて考えてみた(とはいっても、 現在の日本はホラー天国であろうが).一番の違いは怪談に出 てくる幽霊は必ずしも人に危害を加えるものではないことでは ないかと思う。中には、ただ皿の数を数えているだけのほほえ ましいものもいる。しかるに、西洋の方はどうだろうか。ただ 夜出てくるだけのホラーなんて聞いたことがない。このことは 日本人がいかに精神論で怪談を作り上げてきたことの証左では ないかと思う。つまりは、日本人は想像で恐がっていた民族な のではないか。幽霊の存在など信じていたとは限らないのであ る。ところが、西洋ではそうはいかない。恐怖を抱くためには その存在が確かなものでなくてはならない。そのためには人に 危害を加え、その存在をアピールする必要がある。だいたいこ のように考えていたところに、新聞に面白いコラムを見つけた。 8 月 22 日付けの朝日新聞夕刊、加藤周一氏のコラム「夕陽妄 語」で怪談を取り上げていた。その冒頭でラフカディオ・ハー ンについても触れられている。加藤氏が言うには日本に怪談が 存在できたのは幽霊の存在論が無かったからである。日本人は 幽霊の存在論を括弧に入れて夕涼みの道具として用いてきた。 氏は論理的につめることをせず、精神論に訴える日本人特有の 資質を歯痒く思い、皮肉たっぷりにこのコラムを終えているが、 僕としてはやはりこれは日本人の資質であったのか、まあそれ はそれでいいやと思っているのだが。 |