これまで、貨幣論というとその機能面からばかり語られてき た。だが、それは貨幣はなぜ存在するのかという素朴な疑問に 正面から答えてはくれない。貨幣の存在論という問題を深く突 き進んでいけば、そこには人間であることからの必然的な帰結 が導かれる、というのが本書の論旨である。本書で筆者は人間 に特有のものとして「死の観念」を提出する。 「人間は社会的な動物」である。これは、個人が集まって社 会化したことを意味しない。そもそも、人間というものは社会 の中でしか生きられない宿命なのだ。社会の中の一員として始 めて個人を意識することができる。社会とは、関係の結晶化す なわち「距離化」のことであるが、この「距離化」に貨幣が大 きな役割をはたす。ここでいう貨幣とは、貨幣そのものではな く、貨幣形式という枠組で捉える必要がある。 貨幣は、その抽象的普遍妥当性がゆえに、関係の媒介形式と して最適のものである。だが、媒介であるがゆえに、その役割 も関係によって変化する。以前、僕は経済人類学の観点から貨 幣の権力としての機能を述べたが、媒介形式としての貨幣は専 主制のもとでは、上意下達の権力としての役割を持つかも知れ ないし、民主制のもとでは交換の手段として使われるかも知れ ない。だが、人間が社会的な動物である以上、関係の媒介形式 としての貨幣がなくなることはない。いわば、貨幣の存在論と は人間が人間であるための条件に他ならない。それゆえ、貨幣 形式について考えることは人間についての深い洞察をすること につながる。貨幣の隠れた魔性を垣間見ることにもなる・・・ -------------------------------------------------------- これが、ちくま新書の第一号です。「死の観念」と貨幣との 関わりがもう少しはっきりしないが、関係の媒介として貨幣と 相似的なものに文字を挙げているところが興味深い。ゲーテや ジッドの小説を貨幣小説に見立てているのも目新しい。本書は 筆者も述べているように、別角度から貨幣の存在論に光を当て た冒険的な試みの書であるといえる。 |