(96-5-2)
title: 日本コンピュータの黎明
author: 田原総一朗
from: 文春文庫 460 円
reviewer: 渡辺 治(watanabe@cs.titech.ac.jp)

このピュクシス・ネットのメンバーでもある田口氏は,以前, コンピュータ少年との懇親会の席上で,彼らに向かって「日本 のビル・ゲイツになってくれ!」と叫んだことがある.その裏 には,ビル・ゲイツのように独創的なコンピュータ開発者が日 本には,まだ登場していない,という意識があったのだろうか?

ところが,そのような人が日本コンピュータの黎明期にいた のである.その人の名は,池田敏雄.富士通の最初のコンピュ ータを設計した人物だ.もちろん,ビル・ゲイツとは,時代も 立場も大きく違うので,まったく比較にはならないだろう.し かしそれでも,本書を読むかぎり,独創的なコンピュータ開発 者であることは確かだ.

著者の田原総一朗が,池田敏雄に興味を持ったのは,「IB Mスパイ事件」を取材した時だった.(日立製作所と三菱電機 の社員たちが,IBMの機密情報を不法入手した,という容疑 でFBIに逮捕された事件.1982 年に発覚.それ以後,富士 通にも追及はおよんだ.)このスパイ事件の根源ともいうべき, 「IBM互換路線」を,各社に踏み切らせた人物が池田敏雄だ ったのである.

そう聞くと,ビル・ゲイツなどとは,正反対の独創性のない 人物のように思えるかもしれない.しかし時代が違う.パソコ ンなどが出てくるもっとずっと前のこと,1971 年のことであ る.日本のコンピュータ会社が,やっと,よちよち歩きを脱し たような時代である.この頃,アメリカが沖縄返還などと引き 替えに,急拠,日本コンピュータ市場の自由化を迫って来たの だ.それに対抗する苦肉の策として,池田は,富士通・日立と の提携,そしてIBM互換路線を打ち出したのである.ちなみ に,池田は,この路線の第一号機(皆さんよくご存じの(?) M シリーズの原型機)完成前,(たぶん過労が原因の)クモ膜 下出血で,51 才の生涯を終える.最後は,M シリーズの開発 に命をかけたのである.

ただ,私にビル・ゲイツを感じさせたのは,M シリーズの開 発ではない.(その頃には,池田はすでに取締役.技術者では なく,経営陣の一人になっていた.)おもしろかったのは,富 士通の最初のコンピュータ FACOM 100 が誕生した前後,1954 年頃の話しである.FACOM 100 には,その前の試作機があった. 実はこれ,当時,通信機器メーカーだった富士通の中で「これ からはコンピュータだ」と考え,小林大祐(当時課長,後の社 長)が(ほぼ独断で)始めた企画で,この成否が小林以下,開 発部隊のこれからを決める勝負どころだったのだ.ところが, その開発の中核にあり,演算回路の設計を任されていた池田は, コンピュータの魅力にとりつかれ,設計に没頭して出社もしな くなってしまったのである.焦った同僚が池田の下宿を尋ねて みると,「その後に諸外国で発表された演算回路のほとんどを 設計していた」らしい.以後,富士通は,この天才池田の回り にその天才的なつっ走りを実現する人を配し,さらに小林など が経済面など,企業経営上のバックアップをする,という体制 で開発が進んでいく.簡単にいえば,池田がこけたら,全部が こけるといった状態で,開発が進んでいったのである.後に, 「富士通は荒武者の集団」と評されるほど,荒削りで,危なさ を感じさせるのだが,活力のみなぎる開発部隊だったのだろう. つまり,当時の富士通は,集団としてビル・ゲイツを演じてい たのである.

もちろん,いつまでも「荒武者の集団」では会社が発展して いかない.富士通も,大企業へ変身し,企業戦略として,IB M互換路線へと進んでいく.はたしてその中で,「荒武者の集 団」の気質は失われてしまったのか?ただ,「猛烈に働く」と いった部分だけしか今では残っていないのか?そうでないこと を,コンピュータ・サイエンティストの一人として,願ってい る.