私自身、何が大人であるということか良く分かってい ない。それどころか、私の内面のどこかに、精神的成熟 を拒絶しているところさえある。だから、他人に「大人」 たる要件を説く資格など私には全くないし、そんなこと をするつもりも毛頭ない。ただ、大学生という人種を毎 日相手にしていて、私は彼らにある種の違和感を強く感 じることがある。 勿論世代が違えば、ものの考え方も価値観も違ってき て当然だ。だが、私はそうした「違い」に違和感を感じ ているのではない。むしろ彼らの言葉や行動の中に、彼 らなりのものの考え方や価値観が、一向に表現されてい ないことにそれを感じているのである。あたかも、彼ら の自我そのものが希薄であるかのようなのだ。 確かに私自身は、強烈な自我の匂いを体臭のごとく周 囲に発散させているような人物である。この世代の日本 人(私は37才である。)としてはかなり特異な性格の 持ち主であることも間違いない。だからその違和感も、 そんな私の性格が私に感じさせている特殊ものだと考え てしまえば、これは深刻な問題ではないのかもしれない。 しかし、それにしてもやはり「おかしい」と私は彼らを 見ていて考えてしまう。 本書は、岩波ジュニア新書「若い奴は失礼」を書いた 著者が、私と同じような問題意識から、今度はなぜそう した「自分がない」若者が増えてしまったかについて書 いている本である。さして学業的に優秀でもなく、さり とて学校社会からの完全な落ちこぼれでもない、「普通 の」大学生たちを見ていて、私は以前から彼らが徹底的 にその精神を打ちのめされた状態になっていることを感 じてきた。一方著者は、若者はその「勇気」をくじかれ ているのだと言う。著者が私と同じものを今の若者たち に感じていことはどうやら間違いない。 大平健氏は「やさしさの精神病理」(岩波新書)の中 で、臨床精神科医としての立場から、若者たちの他人と の内面的関わり合いを避ける傾向を、彼らの言う「やさ しさ」という言葉とそれが表す概念を基軸に説明してい る。私は、若者たちが「傷つく」ことに非常に臆病にな っているのだと考えた。要するに「勇気」がないという ことだろう。しかし大平氏は、どういう原因で今の若者 たちがそうなってしまったのかという原因を堀下げて考 え、何を為すべきかという提案はしていない。本書の著 者である小林氏はそこに踏み込んでいる。 蛇足かもしれないが、上のことは大平氏の限界を示し ているのではない。カウンセリングを行なう立場から若 者の精神構造の実態に迫ろうとする時、まずはクライア ント(患者)を無条件に受け入れることから始めなけれ ばならないからだ。ある価値観をもって患者の考え方を 批判的に見ることは、そもそも臨床精神科医やカウンセ ラーとしてすることではない。(以前ピュクシスネット で渡辺隆裕氏が言っていたように、それを大平氏のやさ しさの発露と捉えることは、あまりに情緒的過ぎるだろ う。)本書の著者は、臨床精神科医でもなければカウン セラーでもない。ジャーナリストである。当然同じ対象 であってもその見方は違ってくる。批判の部分が出てく るし、問題解決への処方せんを示そうとするだろう。た だ、読者はそのことに気をつけて本書を読まなければな らないことも確かである。 著者の現状認識は私のそれと一致しているが、著者の 持ち出しているアドラーの心理学が、どこまで問題の本 質に迫るための理論的枠組を与えてくれるかということ ついては、私は今のところ判断できない。著者自身は心 理学の専門家ではないし、著者はアドラーの言葉を自分 の意見を補強する道具として引用しているのだから、そ れが心理学的にはやや恣意的なものになっている可能性 を否定しきれないだろう。しかし、そうした点に注意し た上でなお、私には著者の意見に納得出来るところが多 かった。 著者によれば、「大人」であるということは、確固と した「自分」というものをその内面に持ち、「勇気」を もって物事に対処出来る人物を指すのだろう。「やさし さの精神病理」と是非一緒に読んで欲しい本である。 (巽)
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