(96-11-4)
title: ノイマンの夢・近代の欲望
author: 佐藤 俊樹
from: 講談社選書メチエ 1500円
reviewer: 山下 健司 (kenji@cs.titech.ac.jp)

本書は副題に「情報化社会を解体する」とあるように、巷間 に流布する「インターネットが世界を変える」などのような軽 薄な「情報化社会論」をばっさりと切って捨てる。といって も、ただ批判するのではなく、既存の情報化社会論のどこが問 題で、どうしてそのような陥穽におちいってしまうのかを緻密 に論証していく。

まず筆者が俎上に載せるのは、そもそも「情報化社会」とは 一体何を指しているのかということだ。「情報化社会」とは多 分に曖昧な言葉であり、論者によって微妙にそのニュアンスが 異なっているという。その証拠に30年もの長きに渡って、「情 報技術が社会のしくみを変え、情報化社会がやってくる」と言 われ続けているのである!情報技術は確かに進歩した。だが、 情報化社会はいつまでたってもやってこない。何故か?それは 「情報化社会」という言葉がシニフィアンゼロ、すなわち何の 意味も持たない空虚な記号に過ぎないからだと筆者は断定して いる。しかし、情報化社会といえば誰しもが何らかのイメージ を持っているのではないだろうか。現在の情報技術の進歩を思 い浮かべればそれをイメージすることはそれ程困難なことでは ない。だが、(人々が思い描く近未来社会)≠「情報化社会」と いう点にこそ問題があるのだと筆者は言う。本来、「情報化社 会」という言葉で志向されているのは「新しい社会のしくみ」 であり、単なる技術の進歩ではないのである。本書における筆 者の論旨は次の一文に要約されよう。「技術の進歩が社会のし くみを変えるのではなく、社会のしくみを変えようと志向する ことが技術の進歩に方向性を与えているのである。」と。この ことを取り違えてはいけないし、情報技術がこのような錯覚を 与えがちであることもまた事実なのである。

次に筆者は情報技術と個人との関係を取り上げる。ここでは 「メタ自己」という概念を使用して情報技術が個人に与える影 響を考察している。「メタ自己」とは何か?メタ自己とは自己 を制御する自意識のことである。つまり自己を制御できるのは 自分だけだと考える思惟のようなものだ。ここでの分析は切れ 味が鋭く、本書でも最も魅力的なところだ。その分析とはこう だ:情報技術の進歩は確かに自己に影響を与え得るだろうし、 与えていることだろう。だが、メタ自己に対してはどうか?メ タ自己に対しても影響を及ぼすことはできるだろうが、メタ自 己はその可変性によってそれを吸収してしまう。自己/メタ自 己の二重性は柔軟性を持ち、他者性を回収していく。これこそ が近代的<個人>のしくみなのである。よって、情報技術によっ て近代的<個人>が解体されるなどということはありえないので ある。

以下、情報技術と組織の関係などについても論及されている が、それらは情報技術と個人の関係のアナロジーとして捉える ことができるだろう。筆者は情報技術の進歩を軽視しているわ けではない。むしろそれに対して真摯に思考しているとさえ言 えるだろう。「情報化社会」がもてはやされている今日だから こそ冷静な議論が必要とされているのである。

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『講談社選書メチエ』について

この本は講談社の選書メチエシリーズの一冊である。広辞苑 を引いてみるとメチエとはフランス語で文学などの技巧を指す 言葉らしいが、なかなか洒落た名前であるように思う。このシ リーズは、大体250頁くらいの分量で内容的には新書よりもち ょっと突っこんだ議論がなされているようである。大きさも手 頃で、行間がひろめに取られているので読みやすい。それに何 といっても僕が気に入っているのは栞である。栞の表は有名人 の直筆(と思われる)サインで飾られており、裏にその人の経歴 が簡単にまとめられている。ちなみに、この本ではダーウィン が取り上げられている。栞のようなところにまで気をつかって くれると一読書人としてはうれしい限りである。