賭けの定義番外編:金融工学とゼロサムゲーム

白川浩先生の講演

このサブサイト「賭けの科学」における賭けの定義

「賭け」とは、金銭を利得とするゼロサムゲームである

とさせて頂きました。これは賭けの定義というよりは、このサイトが扱う対象の定義と考えた方が良いかもしれません。

さてこの定義を書きながら思い出したのは、東京工業大学に理財工学研究センターが設立されたときの白川浩先生の講演です。白川浩先生は、私の出身である東工大経営工学専攻の森研究室の先輩で、若くして亡くなられた研究者です。彼の研究者人生は、今野浩著「すべて僕に任せてください―東工大モーレツ天才助教授の悲劇」に壮絶に描かれているので、ぜひ読んでみてください。私が見た白川さん像は、今野先生が描くものと必ずしも一致していませんが。

白川さんは、東工大の理財工学研究センターの設立に尽力され、その設立時の中心となられました。その設立記念かなんかのシンポジウムに私は出席し、そこで白川先生は基調講演のようなことをされていました(記憶は曖昧)。白川先生が、その講演で強調されていたのは「金融工学で扱う対象はゼロサムゲームではない」ということでした...私は、この話にたいそう感銘を受け、回りを見渡したのですが、回りは皆んな「何を言っているのか、分からない」という感じでした。出席者の多くは、東工大の方、もしくは金融工学関係者の方で、経済学の方はほとんどいなかったように思えます。したがって彼が言っている意味、そして、その意図についてはほとんど理解されていないように感じました。白川先生の言葉を私なりに解釈してみると、以下のようになります。

当時、金融工学や理財工学は、ギャンブルに勝つための方法を研究していると言う人が多くおりました(今でもそうでしょうかね)。特に当時の東工大は「ものつくりこそが重要」と考えていて、金融工学という分野を東工大が扱うには反対の者が多かったと聞きます。今野先生の著書「ヒラノシリーズ」に、この話がいっぱい出てきます。「ものを作ることは経済を発展させ、人々を幸せにするが、金融工学はそうではない。個人のお金儲けのための学問ではないか、そんなものをやるのはケシカラン」と、そう考える者も多かったのです。

白川先生は「金融市場とは、限られた資金を本当に必要とする企業や生産者に回すことで経済を成長させ、皆んなが幸せになるためにあるものだ。しかし、経済や投資には不確実性があり、それによって高いリスクが投資を妨げたり、多くのお金が一瞬にして失われたりする。金融工学は、金融市場での取引におけるリスクをコントロールし、リターンを大きくすることによって、多くの人が幸せになることを目指す学問である。誰かが儲けて、誰かが損をするゼロサムゲームを扱うのではない、皆が幸せになるウインウインのノン・ゼロサム・ゲームを扱うのだ」と言いたかったのではないでしょうか。「良いものを作る」だけではなく、良いものを作るところに資金が回らなければ産業も経済も発展しない。東工大にこそ金融工学は必要なんです、と理財工学研究センターの開設にあたって、東工大の先生方にそう言いたかったんではないか、と思ったのです。

だのに、なぜ?

「だのにー、なぜー♪」は「若者たち」という有名な歌の一節で、子供の頃にこの「だのにー」ってとこがすごく引っかかってました。「こんな言葉を、歌詞に使っていいのか?」と(「だのに」は、ちゃんと辞書に載っているそうです)。

白川先生の気持ちを知り、良い話をしておきながら、だのに、なぜー、私はこのサイトで、非生産的なゼロサムゲームである「賭け」について語ってしまうのでしょうか?

それは、その答はおいおい述べて行く(これから考えていく)ことにしたいと思います。